1972(昭47)年 日本復帰 大綱曳 日本の祭り参加(東京) 1973(昭48)年 若夏国体、知念高校が 教員男子バスケット会場となる 1973(昭48)年頃 当添エイサー始まる 1974(昭49)年頃 与那原から荷馬車なくなる 1975(昭50)年 町役場、上与那原に新築移転 1976(昭51)年 消防署が東部消防組合本部となる 1979(昭54)年 当添ハーリーが再開される 与那原東小学校が開校 この頃、与那原大通り(国道331)が 4車線に拡幅される 1980(昭55)年 東部消防本部が与那覇に新築移転 1983(昭58)年 大綱曳が与那原まつりに拡大される
1984(昭59)年 与那原郵便局が港区に新築移転 1987(昭62)年 海邦国体、知念高校が なぎなた競技会場となる 1992(平4)年 大綱曳が大琉球祭(東京)に参加する 1993(平5)年 漁協が合併して与那原西原漁協となる 1995(平7)年 綱曳資料館が開館する 1996(平8)年 マリンタウンプロジェクトが始動する 1997(平9)年 与那原町立図書館が開館する 2004(平16)年 大綱曳がエイサー祭り(大阪)に参加 2005(平17)年 東浜区(1字1区)が設置される 2010(平22)年 与那原マリーナで 高校総体ヨット競技行われる 2012(平24)年 大阪大正区で大綱曳が行われる 2014(平26)年 軽便与那原駅舎が復元される 2015(平27)年 沖縄女子短期大学が東浜に移転する 2016(平28)年 与那原マリーナがオープンする
復帰後の道路網の整備と自家用車の普及によって、人と物の中継地として発展してきた与那原町には陰りが見え始めます。
那覇のベットタウンとして人口は毎年増加し小学校も2校体制になるなど、着実に発展してはいるものの、近隣の大型商業施設や娯楽施設との競合で、戦前や戦後復興期の勢いはなくなりました。
この停滞感を打ち破る起爆剤として、1996(平成8)年にマリンタウンプロジェクトが始動、与那原海岸に既存町域の20%に相当する82ha(0.82㎞2)のマリンタウン(東浜)が造成されました。
マリンタウンによって慢性的な与那原三叉路の渋滞を緩和する新道路網が整備され、またマリンタウンに計画的に住宅地、商業地、大型ショッピングセンターや公園を配置することで、暮らしやすい新生与那原町の形成が進行中です。
綱曳情報
旧六区の行事であった与那原の綱曳は、昭和58年に与那原まつり(現与那原大綱曳まつり)に発展、町全体の行事、真の諸人綱となりました。
現在では、旧四村に東浜を加えた新生与那原町を代表する祭りとして親しまれ定着しています。