与那原町はほぼ全陸域が島尻層群(クチャ)で覆われており、海域にはサンゴ礁や岩礁を欠きリーフやイノーは発達せず、マリンタウン造成以前は広い砂浜が形成されていました。この海岸が大型船が投錨できる天然の良港であること、クチャは良質な陶業原料であるとともに、風化して農業向きの肥沃なジャーガル土壌となることから、本格的な海運や農業が始まるグスク時代以降には有利な地域であったと考えられます。
900年~1100年頃、 グスク時代始まる 1000年頃 大見武/平良原遺跡 1100年頃 上與那原/島ノ前原遺跡 この頃、私的海外交易が本格化 1300年頃 板良敷/島ノ上原遺跡 1300年代 東名大主が上與那原を村建(伝承) その7代後、宗之増が與那原を村建(伝承) 1318年 三山分立 與那原湊で鉄貿易 1400年代 板良敷が雨乞毛の 旧村落から現在の場所に移転
稲作が導入されたグスク時代には、現与那原町を構成する上與那原、大見武、板良敷および與那原の旧四村が、少なくともその原型が存在した事が、伝承や遺跡の調査から推定されています。
その当時から、悪天候に強い大型船向きの投錨地である中城湾の南西部一帯が広く與那原湊と称され、中国や大和との交易船も停泊する民間交易の拠点となっていました。尚巴志による鉄貿易伝承が有名です。