与那原町立綱曳資料館


与那原町の歴史/昭和(復帰前)












1945(昭20)年 終戦(6月)
1946(昭21)年 米軍土地開放、帰村始まる
       與那原初等学校が開校する
       大見武に郵便局開局、電信業務再開
1947(昭22)年 親川に公設市場が開設される
       瓦工場や醸造所が再開される
       公営バスが運行を開始する
       與那原郵便局で電話交換業務始まる
       戦後初の與那原の綱曳行われる
1948(昭23)年 與那原中学校が浜田区に新設される
1949(昭24)年 大里村から独立、与那原町誕生
       町役場は親川の区事務所に設置
       駅舎跡に消防組織が設立される
  1950年代 国道沿いに醸造所・写真館・
         映画館などが、海岸沿いに
         材木商ができる
1950(昭25)年 知念地区警察署が与那原に移転
       協同バス与那原出張所ができる
1951(昭26)年 協同バス出張所が東陽バスとなる
       与那原町漁業共同組合と
         農業共同組合が設立される
1952(昭27)年 知念高校が与那原に移転する
       綱曳行事規定が旧六区で制定される
       親子ラジオ始まる
        (復帰の頃に自然消滅)
1953(昭28)年 与那原中学校が
         浜田区から港区の現敷地に移転
1955(昭30)年 米軍グラマン機が与那原に墜落する
       国民学校跡地(現青少年広場)の
         埋立造成が完了する
1956(昭31)年 与那原港から山原船なくなる
1957(昭32)年 町役場が駅舎跡に移転する
       消防隊は役場隣接地に新築移転
1958(昭33)年 聖クララ教会(与那原カトリック
         教会)ができる
1963(昭38)年 与那原郵便局が江口に新築移転
1966(昭41)年 与那原テックが開園(1986年頃閉園)
       消防署が青少年広場に新築移転
1968(昭43)年 与那原電報電話局が開局


終戦直後の與那原一帯は、艦砲と爆撃に加え上陸した米軍のブルトーザーによって敷きならされ、元の地形も解らない状態でした。

まさに灰塵からの再出発でしたが、昭和22年には本格的な復興が始まり、そして、昭和24年に大里村から3字(旧四村)が独立して、与那原町が誕生します。

与那原町には、明治期同様、その利便性から社会インフラ、事業所や娯楽施設が集中し、戦前の賑わいを取戻していきます。短い期間ではありましたが、荷馬車や山原船も復活し、この復興を支えました。

戦後、海運機能は失われますが、与那原は陸上交通の要衝であり続けました。



綱曳情報

戦災で関わる全てを失った與那原の綱曳ですが、関係者の努力で僅か2年の中断で復活しています。

戦前と同じく字與那原(旧六区/旧與那原村に該当する新島、中島、港、森下、江口、浜田)の行事としての再スタートでした。1952年には旧六区の区長で綱曳行事規定も制定され、その後は途絶えることなく曳かれています。

なお、開催日は戦後のライフスタイルの変化に対応して、旧暦6月26日のアミシの御願から、アミシの御願の後の日曜日に変更されています。