1912年 大正元年 1913(大2)年 御殿山(御嶽の山)を開削して 與那原分教場が建設される 字與那原で 初のキリスト教伝道会開催 字與那原が沖縄本島の三大 陶業地として新聞で紹介される 1914(大3)年 第一次大戦勃発 字與那原に海嘯、中心部が冠水し 材木業に被害が出る 人車軌道(後の馬鉄)と 県営鉄道與那原線が開業 1915(大4)年 當添が行政区(字)扱いになる 馬車軌道の與那原駅連絡線が開通 県鉄による砂糖の 那覇への輸送が始まる 県鉄與那原線が全線開通 與那原分署が首里警察署から 那覇警察署に所属変更される 字與那原に日本メソジスト 與那原教会が設立される 県鉄が與那原海水浴場を開設する 與那原駅近くに村営の 常設家畜市場が開設される
1916(大5)年 與那原郵便局で電報業務が始まる 築港事業の功労で當添が表彰される 與那原分教場で補習学校始まる 馬車軌道が泡瀬まで全線開通する 1917(大6)年 簡易軌道(トロッコ)佐敷線が 開通、馬車軌道と連結 字與那原の爬龍船が記録に残る 字與那原に本願寺布教所が開設 與那原分教場で野球大会開かれる 字與那原に電燈が点燈する(12月) 1918(大7)年 字與那原の課税等級が 4等に引き上げられる 第一次大戦が終結 1920(大9)年 佐敷街道が 那覇與那原線に改称される 1921(大10)年 東宮、與那原濱から上陸、 御召列車が運行される 1923(大12)年 大里村水産組合が設立される 1923(大12)年頃、 與原が行政区(字)扱いになる 1925(大14)年 秩父宮、與那原濱から上陸 1926(大15)年 與那原分署が独立署となる 大正末までに、字板良敷崎原に製糖小屋できる 字與那原の爬龍船なくなる 尚家の御殿山参拝が途絶える
1914年の県鉄與那原線の開業、および県鉄と人車軌道(後の馬車軌道)の連結により、與那原一帯は東海岸の拠点として飛躍的発展を遂げます。
また、県鉄による與那原海水浴場開設によって、従来の物流商工に行楽観光の側面が新たに加わりました。
歴史的に首里との関わりの深かった與那原ですが、1903年の佐敷街道の開通以降は那覇へのシフトが始まり、軽便鉄道の開業によって経済・物流の主体は完全に那覇となります。当初、首里警察所属であった與那原分署も、軽便開通翌年の1915年には那覇警察署所属となっています。
この與那原一帯の発展を反映し、字與那原の課税等級は4等(近隣地域は6等据置)に引き上げられ、大正15年には警察署も分署から独立署となります。
綱曳情報
地域の発展にともない與那原の綱曳はより大規模な催しとなり、大正2年には首里綱同様に支度が乗ること、尚家からの臨場もあることなどが、新聞記事に見られます。
また、大正末までに従来の門中綱から、えびす通りで東西を分ける字與那原の行事(諸人綱)となりました。
なお、大正元年は明治天皇諒闇(崩御7月30日/旧6月17日)のため、3ヶ月遅れの11月4日(旧9月26日)に曳いたと伝えられています。