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ここに現在の南城市の一部を含む地域から、首里への上納穀類が集められ、一時保管された場所と伝わっている。かつては茅葺きで、現在は南向きになっているが、戦前は北向きであったという。伝承から本来、拝所ではないが、日本政府によって琉球王府が解体されて以降、次第に拝所化していったようである。
板良敷誌(2014)より